無駄に几帳面な行動記録

他、心にうつりゆく  よしなしごとを  そこはかとなく

無駄に几帳面なロック自伝 ~後編~

3週にわたってお届けしたロック自伝、いよいよ感動の(僕が)最終回! マーイ。

自己満足の温泉にどっぷりつかって「ええ湯だな~」状態ですがお付き合い下さい。

 

4章 横浜でロック

 2003年には、またまた転職し(今回はロックな理由ではない)、横浜の実家に戻ったが、ライブ・なんちゃって素人DJパーティ・ライブ・フジロックサマソニと、ロックで遅咲きな青春は続く続く続く・・・。今でもバッチリ永久保存版な記憶としては、

レディオヘッドサマソニ 2003年) 

 アンコールでセットリストにもなかった完全サプライズで「Creep」をやってくれた! 初期の名曲なんだけど、この曲が売れまくり、こればっか求められるからライブでやるのが嫌になってしまったんですよ。で、ファンの間では「まあ、やらんよね・・・」って諦めの境地にいたのにCreep!僕は最前列近くにおりコアなファンが集まっていたのだけど、イントロが鳴り響いた瞬間、そこら中から悲鳴が上がりまくる。なんだか夢を見ているような気分だった。ライブが終わり仲間と合流した時も、なんだかよくわからない言葉を叫びながらハイタッチ。帰りの電車ではまだまだ感動冷めやらずCreepを30回位リピートして思い出しながら聴いてた。こういう経験ない人から見れば痛い奴って感じかもしれんけど、いやいやとってもハッピーだった。

 

アークティック・モンキーズ

 2005年に出たシングル「 I bet you look good on the dancefloor 」でいきなりメロメロ。代官山UNITでのライブ情報をゲット。なんとかチケットを取りファーストアルバムをリリースする前の段階でライブに参戦(出ました!ロック好き界隈でよく使う用語)。 「ブレイクする前に俺はチェック入れてたわけよ」みたいなノリではなく、純粋に、ロック人生でも数少ない「これだ!」と思ったバンドのライブを、出会ってからこんなにも早い状態で見れたことにただただ感動。

 

 最終章 ロックは続くよどこまでも

 ロック人生にも大きな変化が。2008年に結婚したのだ。嫁も偶然ロック好きだったのので一緒にライブとかフジロックとか行ってたのだが、嫁が会社を辞めて主婦になり子供も生まれると、俺の給料ではこれまでのペースでCD買いまくり、ライブ行きまくり、家族でフジロックへGO!をするには毎日フリカケでご飯、おかず無し、外食無し、旅行無しで生活しないと無理なことがわかる(泣) 

 「祇園精舎の鐘の声、所行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ」

 なんて、平家物語を引用してしまったけど(久しぶりに読んで見たけど美しい文章だね)、そんな感じですよ。僕は盛者でも奢れる人でも猛き者でもないけど!

 うん、まあいいんです。何かを得れば何かを失うもんです。それもまた人生。ザッツライフ。 エンディングBGMはフランクシナトラの「That's life」でお願いします。とってもいい曲です。まあ、だからといって僕が聴いてきた素晴らしいロックの思い出はリブ・フォーエバーだし、今もお気に入りのバンドは聴き続けているし、ライブも年1は行くようにしているしね。

 

今回のロック自伝では無駄に几帳面な内容が少なくなってしまったが当然のように、聴いたアルバムリストを作ってます。なんと手書き! 途中からエクセルに転記することも考えたけど面倒くさいからそのまま。 しかし汚い字だな!とても公開できるもんじゃない。

 

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750枚位は収納できるCD棚。入りきらなくなったCDは押し入れに入れたり、全く聴かないのは売ったり。

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SPECIAL  THANKS

僕の最高のロック人生の中でも、特に最初に聴いた衝撃そのままに今も聴き続けている素晴らしい作品を作ってくれた以下のミュージシャンに心からの感謝を。

 

ARCTIC MONKEYS

THE BEACH BOYS

THE BEATLES

BELLE & SEBASTIAN

BUMP OF CHICKEN

DAFT PUNK

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT

OASIS

RADIOHEAD

SIGUR ROS

THE STONE ROSES

THE STROKES

小沢健二

サカナクション

スーパーカー

スピッツ

中村一義

 

                           𠮷岡一蛍

 

 

 

 

無駄に几帳面なロック自伝 ~中編~

さて、偉人でもないのに自伝を書いてしまう暴走ぶりだけど、これぞロック!どこがロック?なんて思われない内にとっとと中編スタート。ロックに興味無い方でも当時の若者カルチャーの話も盛り込まれているので読んでみてください。(話盛り盛り)

 

3章:東京でロック

ロックをもっと楽しみたいぜ!と、転職活動頑張って僕史上最もハードな面接を勝ち上がり転職でき、仕事も面白く、給料もよく、転職に成功したのに、「そんなもんより俺はロックなんじゃぁぁぁー! 辞めてやるぜぇぇぇ!!!」とサラリーマン金太郎並の熱量で会社を辞めて実家横浜に戻っきてきた僕。早速行動じゃ。

  手始めにロック好きが集まっているというサークルを見つけ参加。あの時はSNSはないに等しい時代だったけど今で言うオフ会ってやつだね。何回か参加してたら気の合う仲間と出会うことができ、そいつらとライブ行ったり、クラブ行ったり、飲み会したり、我が家(次の転職先が実家から通える距離でなく一人暮らし)で鍋したり、そのサークルでフジロック行ったり、なんちゃってDJイベントしたりと27才にして遅咲きの青春。パイセンっ、アオハルっすよ!

 今までのうっぷんを晴らすべくライブも行きまくり。無駄に几帳面にライブリストを作っていたのを思い出し見てみた。

 

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スゲー、2001年は、年間49回もライブ行ってる! まあフェスで見たバンドはその分カウントしているから若干インチキカウントくさいけど。この時期は特に今でも強烈に覚えているライブばかり。 

バンプ(ON AIR EAST) 今じゃこのキャパ(1000人)なんてできないっしょ。

★オアシス(フジロック グリーンステージ) Don't look back in anger(皆で歌うことが多い曲)を感極まって泣きながら歌った。

スーパーカーフジロック) 大好きなwhite  style surf 5. がかかり、感極まり気づいたらダイブしてた。 お主、感極まってばかりデスな~。

レディオヘッド 武道館と横浜アリーナ2日連続! アリーナでバンプ藤原君にばったり出会い、握手してもらったら「今日は楽しみですね」と言ってくれた!

シガーロス(渋谷クアトロ)

 

2001年と言えば、ストロークスのファーストアルバム「Is This It 」がリリースされた年でもある。彼らの音を最初に聴いた時は、あまりにも僕が理想としているロックンロールの音が鳴り響いていたので「ユリイカ!」って叫んで風呂から飛び出してしまった程。

 

 ライブ程ではないが、クラブ通いも結構したな~。金曜夜、仕事後一度帰宅して着替えて、飯食って、クラブで踊り、始発までいるなんて今では考えられない夜更かしもしていた。 土曜に渋谷のクラブで踊り、日曜始発で帰り、品川から東海道線に乗った途端に爆睡、目覚めたら富士山が車窓から見え、富士駅を通過していたなんてのもいい思い出です。 クラブでかかった曲として最も覚えているのは、ダフトパンクのone more time ! CMとかでも流れていたのでご存じの方もいるのでは? 2000年末ミレニアムにクラブでかかりまくっていて、この曲が流れる度にとんでもない高揚感に包まれていたよ。 

 そんな感慨にふけりながら、最終回に続く。  

                             𠮷岡一蛍

無駄に几帳面なロック自伝 ~前編~

突然思いついた『無駄に几帳面なロック自伝』! ロックに興味ない人でもなんとか読んでもらえるよう書いて行くので是非是非読んでみそ!(死語)。

 

序章:始まり

オアシス と出会ったのは1996年(平成8年)、僕が大学4年生(23才)のことだった。僕の人生に焼き印のようにくっきりはっきりと印をつけた出来事だった。

 もう連絡を取らなくなって久しいのだが、その当時仲良くしていた友達に僕が「オアシス、スゲーいい! ユリイカ!」と告げると、UKロック・ベストソングスをMDで作ってくれた(MD!!!若者は知らないって!)。そのベストソングスが、僕をオアシスだけじゃなく加速度的にロックの世界へいざなってくれた。 そんな彼は卒業後、SME(Sony Music Entertainmentに就職。ロックの知識とセンスは抜群だったからなあ。そんな奴が近くにいて僕はラッキーだった。

 

1章:静岡DEロック

大学卒業後、就職した会社で静岡支店に配属された。週末は静岡駅近くの丸井のHMVでCD買ったり、近所のレンタルショップでCD借りたりしてた。

この当時はまだまだMDが幅を利かせていたので、CDはバンバンMDに落としてMDウォークマンやMDCDコンポで聴いていたものである。MDはMDケースに収納。

懐かしくなり撮影してみました。

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UK、USA、邦楽でケースを分け、ラベルで中にどのバンドが入っているか書き込み。増えていくと、検索性が落ちたので、USAは緑、邦楽は黄色と決めてシールを貼るようになる。この頃から無駄に几帳面さは発揮してるぅぅぅぅぅ!!!

 

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なんと、ベストソングも作っていたぁぁぁ!!!

 

あと当時のロック少年あるあるで、「ロッキング・オン」「ロッキング・オン・ジャパン」「BUZZ」を毎号買ってむさぶるように読んでた

 僕の人生ベストアルバム5に君臨し続けている、レディオヘッド「OKコンピューター」 中村一義「金字塔」がドロップされたのは1997年、静岡時代だった。他に記憶しているのは、営業中の車でラジオから流れてきた椎名林檎「歌舞伎町の女王」。その時初めて聴いたのだが、あの声は衝撃的だったな~。 あと、スピッツ「フェイクファー」なんかスゲー春ってイメージあるので、調べてみるとドロップされたのは3月25日。春だった。やっぱり。約23年も前のことなのに覚えているもんだね。しかしロックのアルバムと聴いてた季節って僕の中ではこれを除いてリンクすることはないんだけどなんでフェイクファーだけこういうことになったんだろう?

 

2章:福岡DEロック

会社を退職し、実家へ出戻り。7か月の転職活動。そして再就職した会社で配属されたのは博多!人生初上陸! 博多の近くに住んでたのだが、すぐ北九州の門司にできた営業所に異動(既定路線)。門司には大きなCDショップがなく、隣の駅の小倉にあったタワレコで週末になるとCDを購入してた。

 そして僕のロック人生で大きな事件が起こる。フジロックである。静岡時代の1997年に、第1回が富士天神山スキー場で開かれたのだが、「野外フェス?泊り?一人で行くのはちょっと・・・」と尻込みしてしまい、行かず。第2回の豊洲は行ったのだが、場所が自然なんてない殺風景な場所で、「ふーん、野外フェスってこんなもんなのね」とちょっと感動しただけで終わる。そして第3回の苗場スキー場。大自然の中でロックを浴びる気持ちよさ。ステージがいくつもありタイムテーブルとにらめっこしながら好きなバンドを選び、前方で踊りまくりながらでも、後ろで寝転がりながらでも参加できる自由さ。生中を飲みながら移動したり、今までの屋台のイメージを覆す程うまい食べ物が多かったりと飲食三昧。山なので突然土砂降りになったり、雨が続いたりする厳しさはあるけれど、そんなマイナス面なんか忘れちゃう位楽しかった。「ユリイカ!」と叫んでしまう程。(ユリイカ多いな!)

 あまりに楽しくて、第4回は九州に住んでいたのだが当然参加。しかし、帰ってきた後ふと考えた。「九州からフジロックへ行くと交通費とか移動時間が半端ないな。この会社は転勤も多いし、もしかしたら更にバカにならない場所に転勤も十分ありえるし。つか、地方だと、単独ライブも気軽に行ける距離のライブハウスに好きなバンドなかなか来ないよな。九州住んでから、好きなバンドで来たのはプライマルスクリームだけだし。」

 

 というわけで、私、ロックをより楽しみたいので会社を辞めてしまいました(実話)。まあ、他にも転勤が続く仕事だと、友達に会う回数も少なくなるし、離れてみて初めて気づいた故郷横浜の良さ(恋愛漫画風に)とかあるんだけどね。

 

  振り返ってみるとフードファイターの『回転寿司対決』の食い終わった皿のように次々と記憶がよみがえってきて、1回で終わらなかったので続きます。

                              𠮷岡一蛍